高知地方裁判所 昭和52年(行ウ)1号 判決 1981年4月23日
原告 大坪憲三
被告 国
訴訟代理人 緒賀恒雄 中島尚志 松永榮治 山口三夫 福富昌昭 孝橋雅太郎 徳弘至孝 上田要 川村 厳
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金七万四、四〇五円と、これに対する昭和五二年四月一六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、高知弁護士会に所属する弁護士であるが、昭和五二年二月一四日高知簡易裁判所より、同裁判所同年(ろ)第一三号窃盗被告事件(以下本件被告事件という。)について国選弁護人に選任されたので、これを承諾した。
2 本件被告事件について、原告は、昭和五二年三月四日の第一回公判期日及び同月一六日の第二回公判期日において検察官が請求した証拠書類についてはすべて同意し、また二回にわたつて被告人質問を行つた。そして、第二回公判期日においては、法律論として本件窃盗は未遂であること、また情状論として犯罪の動機、態様、被害状況等の犯情は軽微であること、被告人の前科もさして悪質でないことを指摘して再度の執行猶予を付せられるべきであると弁論する等の弁護活動を行つた。
3 そして、原告は、昭和五二年三月一七日高知簡易裁判所に対し、
(1) 国選弁護人日当 金一万五、〇〇〇円
(2) 同報酬 金五万八、一四〇円
(3) 記録謄写料 金 一、二六五円
以上合計 金七万四、四〇五円
を請求した。
4 これに対し、高知簡易裁判所裁判官(以下本件担当裁判官という。)は、昭和五二年三月二四日原告の前記弁護活動に対し、
(1) 国選弁護人日当 金 三、八〇〇円
(2) 同報酬 金二万一、〇〇〇円
(3) 記録謄写料 金 一、二六五円
以上合計 金二万六、〇六五円
を支給する旨の決定(以下本件支給決定という。)をなした。
5 しかしながら、右金額は余りにも低額であり、原告には少なくとも前記3で請求した金額が支払われるべきであるが、その根拠は以下の通りである。
(一) 黙示の国選弁護人報酬支払契約に基づく請求
原告は、昭和五二年二月一四日高知簡易裁判所により本件被告事件の国選弁護人に選任されたが、その際原告と被告国との間に、憲法の要請するところの、被告人のために有効かつ十分な防禦権を行使するに必要と考えられる適正な額である前記金額による国選弁護人報酬支払の合意が黙示的に成立した。そして原告の請求する前記金額は、日本弁護士連合会の定める報酬等基準規程に照らしても適正なものというべきである。
そこで、原告は、右黙示の国選弁護人報酬支払契約に基づいて前記金員を請求する。
(二) 憲法二九条に根拠を有する刑事訴訟法(以下刑訴法という)三八条二項に基づく請求
弁護士の有する法律的知識、専門的技倆と、これを事件のために費やす労力、時間は弁護士にとつてかけがえのない貴重なものであるから、憲法二九条にいう「財産権」に該当するというべきところ、原告は、前記のように高知簡易裁判所によつて本件被告事件の国選弁護人に選任され、自己の有する専門的知識、経験、労力、時間を国選弁護制度の運用という公共の目的のために費やすことを余儀なくされた。
そこで、原告は、憲法二九条を具体化した刑訴法三八条二項に基づいて前記金員を請求する。
(三) 国家賠償法一条一項に基づく請求
およそ裁判官は、国選弁護制度運用に伴う経済的負担を弁護士に押しつけるいわれはないことに思いを致すとともに、低額で名目的な国選弁護人報酬の支払いは、被告人のために有効かつ十分な防禦権を保障した憲法の精神に著しく違背する結果を招来することを認識しなければならない。しかるに、本件担当裁判官は右の趣旨をいささかも理解することなく、漫然最高裁判所の通達に定める支給基準を機械的に適用して本件支給決定をなした。これは、結局原告に経済的に赤字の職務活動を強いるもので、違法な決定というべきである。
そこで、原告は、国家賠償法(以下国賠法という)一条一項に基づいて前記金員を請求する。
6 よつて、原告は、被告に対し、(一)黙示の国選弁護人報酬支払契約、(二)憲法二九条に根拠を有する刑訴法三八条二項、又は(三)国賠法一条一項に基づき金七万四、四〇五円と、これに対する訴状送達の日の翌日である昭和五二年四月一六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし4については認める。
2 請求原因5は争う。
(一) 同原因の(一)については、国選弁護人選任行為の法的性格や国選弁護人報酬支給手続の構造からみれば、本件支給決定の法的性格は裁判であり、原告の請求しうべき金額は同決定に定めた額に限られるというべきである。
また、原告が国選弁護人に選任された際、原告と被告国との間に黙示の国選弁護人報酬支払契約が成立したことを窺わせるに足りる特段の事情も存しなかつた。
(二) 同原因の(二)については、刑訴法、刑事訴訟費用等に関する法律(以下刑訴費用法という。)は、国選弁護人に裁判所が決定した旅費、日当、宿泊料及び報酬額以上のものの支払いを国庫に対し請求することを認めていないのであるから、刑訴法三八条二項を直接根拠とする原告の主張は理由がない。
(三) 同原因の(三)については、本件担当裁判官は、最高裁判所の通達に定める支給基準を一応の参考としつつ、本件被告事件の難易性や弁護人の訴訟活動等諸般の事情を十分考慮して事案に即した相当な報酬額を決定したものであるから、本件支給決定には何ら違法の点はなく、また担当裁判官に過失はない。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因1ないし4については、当事者間に争いがない。
二 右当事者間に争いのない事実と、成立に争いのない甲第一号証の一ないし三八、原告本人尋問の結果、当裁判所に顕著な事実及び弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められ、原告本人尋問の結果中この認定に反する部分は措信しえず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告は、司法修習生五期出身の弁護士で昭和三八年四月以来高知弁護士会に所属しているが、昭和五二年一月頃同弁護士会に国選弁護事件を担当したい旨の申し出をし、これにより同弁護士会の国選弁護人希望者名簿に登載された。
同年二月頃高知簡易裁判所から、同弁護士会に対し、本件被告事件の国選弁護人の人選方を依頼してきたので、同弁護士会は右国選弁護人希望者名簿に従つて人選を行い、原告を推せんした結果、同月一四日原告は高知簡易裁判所によつて本件被告事件の国選弁護人に選任され、翌一五日同選任請書を同裁判所に提出した。
2 本件被告事件は、被告人が昭和五二年二月三日神社のさい銭箱から現金一、六二六円を窃取したという内容であり、被告人の前科は、(1)同三二年三月一五日確定窃盗懲役一年三年間刑執行猶予、(2)同三八年一二月二八日確定窃盗懲役一年三年間刑執行猶予、(3)同四四年六月四日刑終了銃砲刀剣類所持等取締法違反罰金五、〇〇〇円、(4)同四六年四月二三日確定強盗未遂懲役二年六月四年間刑執行猶予保護観察付、(5)同四八年八月九日刑終了器物毀棄罰金一万円というものであつた。
本件被告事件は、第一回公判期日が同五二年三月四日、第二回公判期日が同月一六日それぞれ開かれたが、被告人は、公訴事実を認めており、弁護人である原告は、検察官の請求した証拠書類はすべて同意し、また二回にわたつて被告人質問を行つた。
そして、原告は、右第二回公判期日においては、検察官の懲役一〇月の求刑に対して、まず法律論としては、本件窃盗は未遂であると争い、また情状論として犯情は軽微であり、前記強盗未遂の前科もその内容はさして悪質でないと指摘して、被告人に再度執行猶予が付せられるべきであると弁論した。
その後高知簡易裁判所は、同月二四日の第三回公判期日において、被告人を懲役一〇月に処し、三年間刑の執行を猶予し、猶予の期間中保護観察に付する旨の判決(なお訴訟費用になる国選弁護費用の負担は刑訴法一八一条一項但書の「被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかである」として、これを被告人に負担させなかつた。)を宣告し、同判決は同年四月八日上訴期間満了により確定した。
3 ところで、原告は、昭和五二年二月二一日受訴裁判所、高知地方裁判所、高松高等裁判所及び最高裁判所に対して「国選弁護人の報酬に関する照会書」と題する書面を提出し、同照会書中において、(1)原告は、国選弁護人報酬は、国と弁護人との公法上の契約によつて約定されるべきものと考えるので、高知弁護士会報酬規程に基づいて算出された報酬額を請求する予定であるが、これについて裁判所はいかなる考えを持つか。また報酬額につき協議する機会を持つことができないか(2)仮に国選弁護人報酬は、裁判所が一方的に決定するものと考えるならば、その裁判所とは、訴訟法上の意味の裁判所を指すのか、それとも司法行政上の官庁としての裁判所を指すのか。また報酬を支給する旨の決定は訴訟行為であるのか、それとも行政行為としての性質を有するのか。更に、右決定に対する不服申立方法があれば、その方法を教示してもらいたい旨の照会をした。
これに対し、高知地方裁判所長は、同年三月一〇日原告に対し、口頭により(1)国選弁護人報酬決定の法的性質については現段階で裁判所の見解を述べることはできない、(2)報酬額を協議する機会を持つことについては、そのような制度がないので応じられない、(3)裁判所が国選弁護人報酬額を決定し、これに対する不服申立方法の教示を求められてもこれをしない予定である旨を回答した。
4 この後、原告は、本件被告事件の判決宣告前である昭和五二年三月一七日高知簡易裁判所に対し、(1)国選弁護人の日当として金一万五、〇〇〇円(二日分)、(2)同報酬として金五万八、一四〇円(内訳、接見交通費金三、一四〇円、支給報酬額金四万九、五〇〇円、所得税金五、五〇〇円)、及び(3)記録謄写料金一、二六五円、以上合計金七万四、四〇五円を請求した。
5 これに対し、受訴裁判所の本件担当裁判官は、昭和五二年三月二四日最高裁判所より、各裁判所の行う報酬額決定の便宜に資し、予算執行の適正を図る等の見地から発せられた通達に定められた支給基準を一応の参考としつつ、(1)国選弁護人の日当については、出頭回数及び立会時間等を考慮して金三、八〇〇円、(2)同報酬については、原告は、本件被告事件につき法律上、事実上の問題点を指摘し、弁論要旨を作成する等積極的に弁護人の職責を尽したことのほか、本件被告事件は特に困難というほどの事案でなく、二開廷で審理を遂げており、従前の同種事案の支給実績をも総合考慮して金二万一、〇〇〇円、(3)記録謄写料金一、二六五円、以上合計金二万六、〇六五円を各支給する旨の決定をした。
6 そこで、高知地方裁判所会計課長は、昭和五二年三月二九日原告の国選弁護報酬等の受領代理人である高知弁護士会事務局長訴外尾崎徳吉に対し、前記支給決定により定められた国選弁護人報酬等の受領を催告したところ、翌三〇日原告から右報酬等の受領を拒否すると共に、右訴外人に対する報酬等の受領代理権限を解除する旨の通知がなされた。
そのため、被告国は、同年四月二〇日国選弁護人日当金三、八〇〇円につき高知地方法務局同年度金一三四号をもつて、同報酬のうち記録謄写料金一、二六五円につき同地方法務局同年度金一三七号をもつて、同報酬金二万一、〇〇〇円から所得税金二、一〇〇円を控除した金一万八、九〇〇円につき同地方法務局同年度金一三八号をもつて、それぞれ同地方法務局に弁済供託をした。
三 そこで、以上認定したところを前提にして、まず黙示の国選弁護人報酬支払契約に基づく請求について判断する。
1 まず、国選弁護人選任行為の法的性質についてみるに、憲法三七条三項は、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。」と規定し、国選弁護制度は、同項後段にその根源を有するものであるが、これを受けた刑訴法三六条本文は、「被告人が貧困その他の事由により弁護人を選任することができないときは、裁判所は、その請求により、被告人のため弁護人を附しなければならない。」と規定しており、同条によれば、裁判所の決定により、特定の事件につき国選弁護人を附する旨の意思表示がされることとなつているが、この決定は明らかに裁判としての性質を有するものである。
そして、右の弁護人を附する裁判に基づき特定の弁護人を選任する行為については、同法三八条一項は、「この法律の規定に基いて裁判所又は裁判長が附すべき弁護人は、弁護士の中からこれを選任しなければならない。」と規定し、これを受けて刑訴規則二九条一項は、「法の規定に基いて裁判所又は裁判長が附すべき弁護人は、裁判所の所在地に在る弁護士の中から裁判長がこれを選任しなければならない。」と規定し、また弁護士法二四条によれば、「弁護士は、正当の理由がなければ、法令により官公署の委嘱した事項及び会則の定めるところにより所属弁護士会又は日本弁護士連合会の指定した事項を行うことを辞することができない。」と定められている。
そこで、以上の諸規定の趣旨、構造に鑑ると、裁判所又は裁判長が特定の事件につき特定の弁護人を選任する行為の性質は、当該弁護人の承諾の要否はともかくとして、刑事訴訟法上の命令すなわち裁判としての性質を有するものと解するのが相当である。
2 次に、国選弁護人報酬等の支給手続についてみるに、刑訴法三八条二項によれば、国選弁護人は、「旅費、日当、宿泊料及び報酬を請求することができる。」と規定し、その具体的な金額については、刑訴費用法八条は、旅費、日当及び宿泊料については、同法三条から五条までの証人等に支給する旅費、日当及び宿泊料に関する規定を準用することとし、路程賃、日当及び宿泊料は、最高裁判所が定める額の範囲内において、裁判所が決定した額に従つて支給されることとなつている。
ただし、同法八条一項但書によれば、これらを支給する場合は、「弁護人が期日に出頭し、又は取調べ若しくは処分に立会つた場合」に限定されている。
また、国選弁護人に支給すべき具体的な報酬の額は、同条二項により、「裁判所が相当と認めるところによる。」ものとされているが、前記のように、最高裁判所は、各裁判所の報酬額決定の便宜に資し、予算執行の適正を図る等の見地から支給基準を定めた通達を発しており、受訴裁判所は、具体的な報酬額の決定に当つては、右の通達の基準を一応の参考としつつ、事件の難易、弁護人の訴訟活動、特に公判前の準備活動の程度、開廷回数、従前の支給実績、各地の実情等を考慮して事案に即した相当な報酬を、その裁量によつて決定し、支給しているものである。
3 そこで、以上に考察したような、国選弁護人選任行為の法的性質及び国選弁護人報酬等の支給手続の法的構造からすれば、国選弁護人報酬等の支給決定は裁判であり、国選弁護人に支給すべき旅費、日当、宿泊料及び報酬の額は裁判所が刑訴費用法に基づき具体的に決定した額に限られるものというべきである。
従つて、原告の主張するように、国選弁護人報酬支払いに関する契約が黙示的にも成立する余地はないというべきである。
4 のみならず、前記認定したところによれば、原告が高知簡易裁判所によつて、本件被告事件について国選弁護人に選任された際、原告と被告国との間に黙示的な国選弁護人報酬支払契約が成立したことを窺わせるに足りる事情は存せず、また原告が昭和五二年二月二一日高知地方裁判所等に提出した照会書の記載内容からすれば、原告自身右黙示的契約が成立していないことを認識しているのではないかと考えられ、結局右黙示的契約の成立を認めるに足りず、原告の右請求は理由がない。
四 次に、憲法二九条に根拠を有する刑訴法三八条二項に基づく請求について判断する。
原告は、弁護士の有する法律的知識、専門的技倆と、これを事件のために費やす労力、時間は憲法二九条にいう「財産権」に該当すると主張するが、これらは法的意味における「財産権」すなわち財産的色彩を有する権利であるとは解しえないから、この点において既に原告の右請求は理由がない。
のみならず、仮にこれらが右にいう「財産権」に当るとしても、国選弁護人に支給される報酬等については、前記のように、刑訴法三八条二項、刑訴費用法によつて裁判所が相当と認めるところにより具体的に決定した額に限定されるのであるから、刑訴法三八条二項を直接の根拠とする原告の請求は、この点においても理由がない。
五 最後に国賠法一条一項に基づく請求について判断する。
まず本件担当裁判官がなした本件支給決定は刑訴費用法八条二項に定める相当な報酬の範囲を逸脱した低額なもので、同条項に違反する違法な決定であるか否かについて検討する。
1(一) 国選弁護の報酬を決定する場合に最も参考にしなければならないと考えられるものは、国選弁護と同一の弁護活動に通常支払われる私選弁護の報酬であり、弁護士会で自主的に定められている報酬等基準規程であると解される。
成立に争いのない甲第一三、第一四号証、原告本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。
日本弁護士連合会(以下日弁連という)が、昭和五二年三月より、全国の会員が受任した国選弁護事件に関し、同じ事件を私選弁護事件として受任したと仮定して、その場合に請求する報酬の額についてアンケート調査を行い、昭和五四年六月迄に回答のあつた分につき集計した結果によると、簡易裁判所の刑事事件の場合、五万円未満は二・五九%、五万円以上一〇万円未満は二八・五二%、一〇万円以上一五万円未満は四五・九三%、一五万円以上二〇万円未満は一七・〇四%、二〇万円以上二五万円未満は四・八一%、二五万円以上は一・一一%であつた。なおこれらの事件を受任した弁護士の経験年数をも併せて調査したところ、簡易裁判所の場合九・七二年であつた。原告は本件被告事件を担当した昭和五二年当時、弁護士経験年数(訟務検事経験も含め)二四年のベテラン弁護士であるが、当時私選弁護の報酬は平均二〇万円、最低一五万円をその依頼者から受取つており、本件被告事件と同種の事件では右最低額の報酬を得ていた。当時日弁連の報酬等基準規程は簡易裁判所の刑事事件の手数料(着手金)及び刑の執行が猶予された場合の謝金は各一〇万円計二〇万円が私選弁護の最低額(右金額は昭和四八年と昭和五〇年の二回にわたつてそれぞれ従前の金額より三倍程度引き上げられている)と定められていた。
右認定事実によれば、私選弁護の報酬の実態は簡易裁判所の刑事事件の場合五万円以上二〇万円未満の金額と解されるところ、本件支給決定は日当をも含めて二万四八〇〇円であるから、右報酬額に照らしかなり低額であるといわなければならない。
(二) また、弁護士は国選弁護事件の処理に当つても、他の弁護士活動と同様事務所及び補助者等の提供する役務等の利用を前提としているものであるが、原告本人尋問の結果によれば、原告は四〇坪の事務所のほか駐車場を備え、五人の事務員を雇用、一か月少なくとも一五〇万円の経費を要していたので、一日少なくとも五万円の経費を負担しなければならないところ、原告は本件被告事件の弁護活動のために少なくとも八時間を使用しなければならなかつたのであるが、原告の場合、本件支給決定の金額は右所要時間に相当する事務所経費すら賄えず、結局原告は赤字の職務を強いられたことになつたことが認められる。
2(一) しかしながら、右国選弁護制度は、弁護士の積極的な協力がない限り憲法上の理想を達成することができない性格のもので、弁護士が貧困者等の国選弁護に従事することは、弁護士の職務の公共性に随伴する重要な責務の一つであると考えなければならない。そしてその報酬についても、日弁連の報酬等基準規程の四条には、「依頼者が貧困であるときは……弁護士報酬等を減額又は免除することができる」と規定されているが、その趣旨は貧困者等の国選弁護の報酬においてもしんしやくすべきである。
(二) また前記認定事実のとおり、本件支給決定は、最高裁判所が各裁判所の行う報酬額決定の便宜に資し、予算執行の適正を図る等の見地から、一応の支給基準を定めた通達を参考としたうえ、本件被告事件の事案の軽微性、被告人は事実を認め検察官が請求した証拠も弁護人においてすべて同意し、証人尋問も行われず、二開廷で結審し判決が言渡されたものであること、弁護人が法律上及び事実上の問題点を指摘し、弁論要旨を作成する等の弁護活動をしたこと等諸般の事情を考慮して決定されたものである。なお右通達の趣旨は十分に尊重されるべきである。
(三) そして、本件支給決定による国選弁護報酬の金額は、従前の慣行化していたとみられていた支給実績と比較して特に低額のものとは考えられない。
(四) 1(二)について、原告の法律事務所は規模も大きく、そのための経費も当然多額になつていることは前述のとおりであるが、成立に争いのない甲第一三号証、証人鬼倉典正の証言によれば、大都会において三三平方メートル(一〇坪)程度の事務所を賃借し、一人の事務員を雇用して弁護士業務を遂行する一般的な弁護士事務所の場合、一か月二五万円を下らない経費を要することが認められる。従つて、少なくとも八時間を要した本件被告事件の報酬としての本件支給決定は、一般的な弁護士事務所を維持する弁護士にとつては、弁護士業務を遂行するうえで事務所等の経費すら賄えないものではない。
3 以上1、2で述べたところを総合考慮すれば、本件支給決定は原告の国選弁護活動に対する報酬として低額であるとの感は免れないものの、刑訴費用法八条二項に定める相当の報酬の範囲を逸脱した違法の決定であると解することはできない。
よつて、原告の国賠法に基づく請求はその余の判断をするまでもなく失当である。
六 以上によれば、原告の本訴請求は、すべて理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 鴨井孝之 馬渕勉 吉田肇)